第27回 松崎健 陶芸展
 
ごあいさつ

 この度、美術画廊におきまして「第27回 松崎健 陶芸展」を開催する運びとなりました。
陶芸の郷益子にて、敬愛する人間国宝・島岡達三氏を師に持つ陶芸家松崎健は、伝統にとらわれずのびやかな創作活動を営まれ、その自由な焼成、感性溢れる造形は、常に他の追随を許さない独自の作風を開拓し、近年ますますその充実度を高めておられます。
今展では、幽玄の美を追求し続ける耀変金志埜をはじめ、築窯された新窯の無限の可能性を感じさせる灰被窯変、灰被耀変志埜等、渾身の力を振り絞られた優品約160点を展観いたします。
 松崎先生特有の秀逸な焼成、天衣無縫の造形美が結晶した展覧会。
 皆様、多数お誘いあわせのうえ、是非ご来場賜りますようご案内申し上げます。

          平成一八年五月吉日

阪急百貨店 美術画廊

炎の不思議
横堀 聡

  陶芸家を志す若者の多くが当代の著名な陶芸家に弟子入りを希望する。しかし入門を果たしても、その大半は師事した陶芸家の技法を引き継ぐに留まってしまう。松崎 健はいわゆる人間国宝となった島岡達三の門下として陶芸の修練を積んだ。そして恩師から灰被窯変の技法を学んだが、単に学ぶだけであれば、例外に漏れず技法を引き継ぐだけに終わっただろう。松崎は灰被窯変の技法を単に使いまわすだけに留まらず、伝統ある志野焼に用いることにより、目も覚めるような灰被耀変金志埜を生み出した。個性を創出することを作家の基本的な定義とするならば、松崎は本道を歩む作家であり、この金志埜は更なる工夫によって新たな個性を創出する可能性に満ち溢れている。
 益子には現在も濱田家、島岡家をはじめとして多くの陶芸家が登り窯に拘り陶芸を続けている。もちろん松崎もその一人である。灰被耀変金志埜を作り出すには登り窯の炎が不可欠であり、ガスや電気窯でじゃ光耀く金色と地味溢れる景色をあわせ持った金志埜は生まれ得ない。登り窯焼成にこそ陶芸の醍醐味がある。個展会場で自身に満ち溢れる姿で立ち振る舞う松崎も、汗だくで薪をくべ、登り窯焼成に挑む松崎があってこその姿である。そして7日間という焼成の末、炎の不思議によって生まれるのが灰被耀変金志埜である。
 松崎 健は織部焼を基調として自身の陶芸を展開している。織部焼とは本来桃山時代に美濃で吉田織部の好みによって焼かれた焼物を指し、志野、瀬戸黒などを抱合した総称であり、桃山時代から江戸時代にかけて釉薬や鉄絵によるラジカルな文様、そして器形に技巧を凝らして作られ、その時々において極めて斬新な焼物であった。松崎の生み出した灰被耀変金志埜は伝統的な志野からは乖離した志野と見えるかもしれない。しかし常に斬新な焼物であり続けるという意味において、松崎の金志埜は吉田織部の意思を貫いているといえよう。

(益子陶芸美術館副館長)

金志埜

私の釜焚きは、誰の目にも尋常には映らないだろう。
窯焚きは実に性格が出る。友人によく「お前はどこまで焼けば気が済むのか」と聞かれるが、未だに満足したことがない。攻めて、なお攻め抜く窯焚きである自分ながら実に呆れる。こうして焼き貫かれた物は、土が自ずから表現してくる、これが私の意匠となる。
今度の新しい窯は、一見登り窯のように見えるが構造は穴窯であり、焼き方も登り窯とは異なる。
この窯は、金志埜を念頭に造ったもので、一五年間両焚きの窯を焼きながら考えた窯である。焚口が一つになっただけ、楽にはなるが窯焚き事体は、相変わらず尋常ではない。
金志埜は、志埜の伝統のないこの益子で民芸の伝統からも解き放たれた中から生まれた志埜である。

    平成一八年五月吉日

松崎 健

表紙
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