1. 灰被窯変タタキ大壷 径44.6×高41.5cm
二十五回展の節目に当たって

 早いもので松崎さんの京王百貨店での個展も二十五回目を迎え今最も油の乗りきっている時期で仕事が楽しくて仕方がない様子がありありとうかがえる。 彼がそれまで私の許で学び親しんできた民芸の世界を離れ更に自由な表現を求めて新しい構想の窯を築き新たな釉薬を用いた作風に転換して十年がたつ。 その間試行錯誤の連続で苦労も多かったと思ふが今や完全に自家薬籠中のものとし次々と素晴らしい作品を発表している。 本年ボストンでの個展、ミネアポリスでのワークショップも大変好評でアメリカでの新しい地歩を築いた。 昨年ニューヨークのバブコックギャラリーでアメリカン志野と云ふ展観があった。丁度テロの直後でギャラリーがしまり見る事が出来なかったが後から送られてきた図録を見ると我々の考えている志野と云ふよりはむしろ桃山陶芸の漸新で自由な発想に觸発されてそれをアメリカ人の感覚で再現したもので思いもよらぬ志野・織部の新たな展開が予測され衝撃を受けた。 松崎さんの志野・織部・或は焼メも伝統的な表現の追求は勿論大事だが折角益子での作陶だから益子ならではのもの或は松崎自身でなくては出来ぬものに挑戰して更に大きく飛躍してもらいたい。
平成十四年十一月吉日
島 岡 達 三
灰被窯変志野

 早いもので焼き物を志してから三十年が経ち、京王百貨店での個展も二十五回を迎え自分でも良くやって来れたものだと思う。 島岡先生の許で五年間学び、先生の窯変に憧れ何時かは薪窯を造って窯変を焼きたいと思い独立して十五年して薪窯を造る事が出来たが思う様に焼けず、それから今日まで十年の間に八回もの窯の改造を繰り返してきた。自分にしか焼けない物を焼くために二七〇〇束の松と栗の薪と二十八表の炭を七日間で燃やし尽した¥トき≠私の意匠にする為に……。  薪を窯の大口にくべ、炭を物の周りに丹念に置いていく、この作業が六日目から三十分に一回繰り返す、体力と気力の勝負になる。無論、窯焚きは一人で出来るわけが無く、六人で三人二交代で窯焚きをする。その内の二人が弟子で、四人は素人一人は瓦屋、一人は重機のオペレーター、もう一人は器の店の主人、この他に庭師ダイヤモンドの研磨の職人、この人たちを私は「異業種軍団」と称しているが、素人と言っても私のところに八年も窯焚きに来てくれてる私の右腕である。  遠くは愛知県、山梨県、茨城県から駆けつけてくれる、こういう人たちに支えられながら出来たのが灰被窯変であり、長年この窯で志野を焼きたいと思い続け昨年やつと窯変志野を焼き上げる事が出来た。  今回は思い切って一の間に志野を匣に入れずに裸で窯詰をして焼く事にした。一の間は大口と違って細かい綺麗な灰を被るため志野を微妙に変化させ炭の働きと相まって灰被窯変志野になる。  私の窯は両焚で窯変を焼くために窯を何回となく手直しをしてきて、ようやく想うものに近づいてきた気がする。 更に、意匠と成りうる焼きを求めて窯を焚きたい。
平成十四年十一月吉日
松 崎  健
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