1. 織部俑花器 高59.0×径35.0×18.0cm
普遍の陶芸と求める旅人

 近年の松崎健の仕事振りには驚かされる。個展での発表の度に作風が大きく展開するからだ。確かに作家である以上、発表される新作が以前と同じものでは進歩がない。しかし美術、とりわけ素材を操る技を必要とする工芸では長い時間の範囲のなかで作風は漸次的に展開するのが普通である。この普通を破った陶芸家が個展の度に意匠を一変させた加守田章二であった。その加守田でさえ、変えたのは意匠であり、作風そのものを大きく変えたとは言い難い。松崎健に驚かされるのはその変化の大きさにである。周知のとおり益子の島岡達三の弟子として出発した彼はしばらく益子らしい厚手の器を並白や呉須釉によって柔らかに包む安定した作風を見せていた。その後、鉄地に白泥の刷毛目を盛り上げる荒々しい作風が加わった辺りから、後の変転する陶芸が堰を切った感がある。ある時は荒々しさから端正へと百八十度転換するように金や銀の更紗文様が登場し、さらにまた揺り戻すかのように穴窯による焼締めや灰被りの大作などが試みられたのである。そして、一昨年からの織部と昨年からの志野への挑戦は土も当然ながら益子から離れて、多くの松崎ファンを驚かしたのではないか。その劇的な変化は松崎健を民芸的は陶芸家として据えることに終止符を打たせたと言えよう。しかし、それらは直ちに伝統的陶芸への転身を意味しない。昨年の作品に見られた伝統的な器形の踏襲から今回は大きく飛躍し、独自の形態を生み出し、その形態と織部や志野の整合性を模索しているのである。それは陶技を深めた陶芸家が陥りがちな伝統主義への回帰ではなく、伝統という固定概念の解体と再生というすぐれて普遍的は芸術の命題に取り組む芸術家の営為である。松崎健のこれまでの展開の軌跡は民芸や伝統という枠を越えた普遍の陶芸を求める長い旅路でもあったのだ。おそらくはそれは終わりのない旅になることだろう。
青木 宏(栃木県立美術館学芸課長)
土から陶へ

 織部・志野というと、とかく桃山が取り沙汰されるが、私は桃山陶を追い求めている訳ではない。あくまで個人陶であり、革新的な桃山の精神が物を造る時に、私の支えになっている。織部・志野は土と焼きが全てであり、窯の中で土から陶へと変化して行き、更にゆっくりと焼いて、織部・志野になる。土を陶へと導くことが、最も大事なことである。
 今回は伝統的なロクロの仕事から離れて、造形的な俑を手びねりで造り、その衣として織部・志野釉を用いているが、あくまで織部は織部であり、志野は志野でありたい。
一九九五年十一月
松崎 健
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